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昨年度の邦画の配収が20数年ぶりで洋画を上回ったという新聞記事を最近見たが、その年月分はどちらかというと洋画に傾斜していたので、個人的には実感が涌かない。日本の映画産業の低迷が製作費削減を強いられ質の低下を招きという悪循環に陥って久しかった。 昭和30年前後の全盛期は娯楽の王者として邦画は確固たる地位を得ていたが、余りの粗製乱造に加え、生活の欧米化に伴う憧れ的要素が洋画に目を向けさせていった。金に物を言わせた映画作りが娯楽性をより高度化させ、見る者をスクリーンに集中させた。 欧米の映画文化との対比だけでなくテレビの普及が映画館への足を遠ざけたのも事実であろう。音楽界がアナログ(レコード、針)からデジタル(CD)へ完全にシフトしてしまったのと同様に、映像社会もプロジェクターによる家庭内劇場や質的向上を実現したハイビジョンに加えデジタル化の加速でプラズマ・液晶の開発が大画面TVの普及期に入りつつある。DVDは家で寝転んで映画館のスクリーンが見られる。 インターネット社会の到来はパソコンから音楽・映像の配信を自由に受け取れる。この様な背景で進展していても欧米の映画文化は地に足が着いていて、歴史と権威のある評価を自国の文化圏だけでなく世界の映画を対象に公平な基準で行なってきた。 プロ野球選手のメジャー入りが相次ぐほど高いレベルの評価を受ける昨今となったが、映画でも日本のムービースターが着実に評価を上げるようになって来ている。その話題が日本に逆流し、邦画界のレベルが見直される。話題のスターの映画に足を運ぶ。 昨日、NHK「スタジオパーク」のゲストであった鴻上尚史氏(演出家)の早口トークを見ていた。顔は昔から知っているが何屋さんかよく分からなかった。それだけ幅広い才能を有しているという事だろう。 その彼がBS放送の「Cool Japan」という番組の司会をしている(それでゲストに呼んでいる。NHKも機会ある毎に番組の宣伝をしているなあ)との由。その番組は滞在している外国人(来日、半年位の日本に馴染んでいない人が対象)に日本社会の便・不便をストレートに語らせ、日本の文化を再考するというものらしい。 その中で“アイスコーヒー”“スリッパ”“ウオッシュトイレ”を取り上げ、収録時の様子を語っていた。何れも日本発という事らしい。特にトイレは欧米でビデはあっても尻を洗浄する発想はなかった。外国人には驚きの気持ちよさを印象付けると。 外来の物と思っていたのが、実は日本古来の物であるという様な足元を見直すきっかけで大いに勉強になる番組を担当させてもらっているとの弁であった。外ばかり気にして見て来た日本であるが、内側を見る大切さを示唆している話であったのに通じる。 どん底から時間を掛けて映画界は足元を固め直していった。その間、映画監督という稼業は製作会社も含め「映画はかくして作らねばならない」といった固定概念が破られ、異業種の映画好きが製作・監督し、プロを尻目に世界的に権威のある賞を得る時代となった。 又、民間企業の連合がスポンサーになり、映画会社に下請けさすというパターンも違和感を持たれない様になってきた。或いは、アイドル歌手やタレントといった演技の素人の起用で観客動員を狙って質を低下させた反省から、演技を重視する当たり前の事が観客を向かせる現実も業界は再認識する。 いろんな形態が混在するが、これらは業界の改革が進行している事を示していると考える。昔の業界人に言わせれば“混沌”としている感があろうが、それだけ活性しているという事に他ならない。これが邦画を底上げしてきたのであろう。 中でもアニメ(漫画)の製作評価は世界が認めるレベルであり、着実に漫画文化を成熟させているとの事である。私は子供の時より漫画・ゲームに無関心であったので、文化の域に達している現状を知らないでいる。親が“本”という物に全く興味を持たなかったのが根本的にある。(この背景の話はブログにも書きましたなあ) 小学校の高学年になってからと記憶するが、偉人伝で「間宮林蔵」の漫画本1冊が手にした唯一のものであった。伊能忠敬ではなく何故、間宮林蔵なのかを後年になって考えた時、親が自分の意志で購入したものではなく誰かから「お子さんへ」とプレゼントされた物に違いないと判断した。 クイズ番組ではないが、「日本地図を作成したのは」と問われれば「伊能忠敬」と答えるのである。“何でダイワハウスなんだ”じゃないが、「間宮林蔵」はフェイント問題なら出てくるかも知れない。樺太が領土であった時、間宮海峡が発見されたので名前が付けられた。 法然の弟子が親鸞であるという関係だから、子供に偉人伝の漫画を意図して与える時は「伊能忠敬」でなければならないと推測出来るからである。(オッサンも相当ヒネクレてまんな、どうでもよろしいがなそんな古い話。いつまでも覚えてられますな) そういう環境だから感性が醸成されなかったのが、私にとっては口惜しい。先般、京都で殺害された学生は京都精華大学マンガ学部に将来を夢見て通学していた。著名なマンガ家も教授に就かれているほどにマンガは社会文化として位置付けられている。 いつぞやのテレビコマーシャルでお好み焼きのソースであったと思うが、「どろろ」と叫んでいるシーンを見ていて「あぁ、どろソースをもじっているのか」と気にも留めなかった。その背景が映画のワンシーンである事を最近知った。 しかも、手塚治虫作品と知って二度びっくりである。手塚作品は「鉄腕アトム」位しか知らない者にとっては、妖怪が出てくるのは水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」が頭に浮かぶ程度である。それが流行している時に対抗して書かれた作品で、手塚治虫の負けん気の強さが見えるという。手塚作品にしては珍しい時代劇である。 新聞のコラムを見ると、「どろろ」は“乱世の覇者となるべく、魔物と契約を交わした父の代償に肉体の48ヶ所を魔物に奪われた百鬼丸と、天涯孤独の野盗どろろが出会い、戦乱の世を生き抜いていく。”と概略が書かれている。アニメではなく実写映画で上映中とある。 このマンガからどういうメッセージ性を読み取るかというインタビュアーの質問に、現代マンガ図書館長の内記氏は「東西を隔てる壁で離散した家族を描くのはベルリンの壁のモチーフで、崩れる様を描いたのは手塚の予見だ。母親の愛情という普遍的なテーマの一方、主人公二人は親がなく、うち百鬼丸は父に虐げられ異形の姿になった。それも親子関係が希薄な現代につながる。科学技術の進歩をうたう『鉄腕アトム』など、手塚作品全般に見える先見性は、今も痛快で魅力的だ」と語る。(奥が深いナー) マンガと映像の関係についても「マンガ図書館にも、よくテレビや映画関係者が原作を探しに訪れる。マンガ=絵コンテと考えられ、映像化もしやすいようだ。魅力ある物語が増えたということで、マンガ文化の成熟を感じる」とも述べている。 こういう記事を読むと漫画を蔑視して成長した自分が恥ずかしくなってくる。そういう前兆を感じ出したのは「ベルサイユのバラ」であった。劇画と称した最初であった様に思うが、少女漫画の域と断じていたのが、宝塚の長期公演の話題からフランス革命の歴史を描いている事を知るに及んで、作家の文学性を認めざるを得なくなっていた。 そう言えばこの4,5年、盛夏の頃に花園大学での京都学講座を聴講してきたが、マンガ学の講座が加えてある。もう、10年以上前になるかもしれないが、入試問題が一部漫画で出されたと話題になった事もある。だから担当教授がおられても不思議ではない。 しかし、毎回その講師があの夏目漱石の孫にあたる人である。「何で夏目房之助氏なんだ」。 漫画の外堀はとうに埋められている。気付かなかったのはオッサンだけである。 (2月7日) |
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洋画を完全日本語にすると鐔ワ愁鐔?ouga-nihongo
1 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 2007/05/21(月) 16:18:15.43 ID:JuotqGAv0 明後日(デイアフタートゥモロー) 宇宙人(エイリアン) 独立記念日(インデペンデンスデイ) 27 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 2007/05/21(月) 16:31:03.72 ID: 889QBmL0 ビル殺す(キルビル) 30 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 2007/05/21(月) 16:31:29.88 ID:7OL... ...続きを見る |
2ちゃんねる@ニュー速VIPクオリティま... 2007/05/21 22:43 |
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