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zoom RSS 『遠回りが近道』〜【1282】

<<   作成日時 : 2009/04/20 07:19   >>

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(つづき)
「玉の輿」との表現からは想像できない複雑な背景があった事が分かってくるが、続編は更に国際政治が絡んでくる経緯に、「モルガンお雪」が当時の日本を救った役割を本人の意図とは関係ないながら、結果として関連付けられる事を示唆している。

『モルガンお雪の時代 (下) (2007年2月27日付、「日々の風」)
お雪がモルガンと結婚した明治37年(1904年)といえば、日本にとって大切な年だった。日露戦争が始まった(明治37年2月10日)のだ。お雪とモルガンは、まさに、その直前に結婚したことになる(明治37年1月20日)。
ところで、日本が帝政ロシアと戦うには、基本的な国力の差に加えて、財政難で、実際は、とても戦える状況ではなかった。そのため日本は、資金調達のため、国債を大量発行し、引き受け先を探すため、日銀副総裁の高橋是清を欧米に派遣する。
しかし、米国は、とても日本には勝ち目がないとして、全く相手にしてくれなかった。そこで、彼は英国に行き、国債引受を要請する。英国は、日英同盟の関係上、やむをえず、必要額1000万ポンドの内、やっとのことで銀行団が500万ポンド引き受けてくれる。だが、それではまったく足りなかった。
彼は、宿泊先で、対応策を考えたが、方策は見つからなかった。その後、しばらくして天佑が訪れた。英国留学時代の学友の紹介で銀行家の晩餐会に招かれたのだ。その時、ある人物と隣り合わせになる。
招かれた時点で、誰かが、そのように配慮したのだろう。隣に座った人物は米国の銀行家で、日本について、なぜか多くの質問を発する。高橋是清は、誠実に丁寧に答えた。高橋是清は、言いようのない不安の中で、眠りについた。
そうすると、翌日、昨日会った銀行家が高橋を訪ねて来て、残りの500万ポンドを引き受けようと言う。聞くと、周囲の反対はあったという。高橋は狐につままれた気分だった。実際引き受けたのは、ニューヨークの銀行家、クーン銀行のヤコブ・ヘンリー・シフという人物である。
彼は名前からわかるようにユダヤ人である。もちろんユダヤのモルガン財閥とも関連があるだろう。彼らは当時から世界にネットワークを張っている。高橋のイギリス留学時代の学友がつないでくれたことに感謝した。
実際は、彼が受けて、周囲の反対にもめげず、ニューヨークの銀行家達を説得し、国債を引き受けさせたのだ。当然、ユダヤの連絡網で、モルガンにも依頼があったはずである。お雪との結婚が直接影響していないかもしれないが、微妙な時に結婚していることになる。
後日、高橋是清が、なぜ引き受けてくれたのかをヤコブ・ヘンリー・シフに尋ねた。彼が引き受けに熱心だったのは、背景は、帝政ロシアによるユダヤ人迫害が影響しているのだった。
しかし、彼らが、国債を引き受けてくれても、日本がロシアに勝つ見込みは薄かった。だが、彼は多分いろいろ策を授けたに違いない。帝政ロシア内には、ユダヤ人の連絡網があり、そこから情報が伝えられていたはずだ。日本は、それを確実に活かしたと思う。
彼らの考え方は、中国的に言えば、敵の敵は味方ということだ。理由は、どうであれ、日本とっては、必要な戦費調達だった。明治天皇は、後、彼に勲章を授与されているが、それは当たり前だろう。国家存亡の危機にあったのだから。
この感謝の気持ちは昭和天皇も強く持たれていたという。結果的に、ヤコブ・ヘンリー・シフは莫大な利益を上げただろうが、単にお金だけで動いていないところに、彼独特の人生観が見える。
このように日本とユダヤ人は、微妙に絡んでいる歴史がある。お互い助け合った歴史もある。そして日本人は、欧米ほど彼らを差別しなかった。否、そういうことはしない。普通の外人として接していた。言い換えれば、特別視しない。
それにユダヤ人の常識は日本人の常識と似ているところがある。それが、彼らには快いかもしれない。もちろん日本人とユダヤ人は似ているところもあれば、全然違う発想もするだろう。しかし、そういう歴史の積み重ねも踏まえて、世界を見るのも大切と思う。
*追記
ちなみに、モルガンお雪は、夫のモルガンの死後、莫大な財産を相続しながらも、その後の生活は質素だったという。彼女は夫から何を学んだのだろうか。また再婚すると、モルガンの親戚に財産を没収されるため、財産の大半を恋人と噂される、ある男爵の研究費に寄付したという話もある(未確認)。
帰国後は、京都(北区紫野門前町)に住み、戦後の1963年5月18日に急性肺炎で、亡くなっている。81歳だった。お墓は京都の東福寺にあるそうだ。なお2年後の1965年5月にフランスから、お墓に白バラが贈られてきたそうである。』

「きょうは何の日」の検索でたまたまヒットしたブログサイトであるが、筆者が“流風”と称し「流風は気ままに、流れる風の如く、社会現象を見つめています。」と日々の社会事象に対しての考えを書いておられる。
文章力から考えて、相当書き慣れている方と判断しているので、読んでいて理解し易かった事を敢えて付記しておきます。

さて、この続編を読んでピンときた事がある。戦前の外交官・杉原千畝氏の事である。
『第二次世界大戦中、外務省の命令に反してトランジットビザ(Transit visa.通過査証、通過ビザとも。以下ビザと記載)を発給することでドイツによる迫害から約6,000人のユダヤ人を救った。
海外では、センポ・スギハラ、「東洋のシンドラー」とも呼ばれる。「センポ」と音読みで呼ばせた理由は主に「ちうね」という発音のしにくさから、千畝自身がユダヤ人に「センポ」と呼ばせたとされている。』(ウィキペディア)

確かテレビドラマでも取り上げており、「日本人も人道を重視した外交官が存在したのか」という思いを持った人も多い筈である。当時の第2時世界大戦下にあって同盟関係にあったドイツの意向に反すると本省からの通達も無視した形でビザ発給に尽力したのであろうか。
単純な発想ではあるが、外交官・杉原千畝は当然、日露戦争の戦史を外交交渉の過程も踏まえて熟知していた筈である。交渉は金融当局であってもお膳立ては外交当局も絡んでいるからである。
第2次大戦からみれば約50年前の日露戦争の戦費調達の恩人となるユダヤ人への思いが杉原の脳裏を霞めていた事は容易に理解出来る。勿論、人間として人道上の措置と評価される結果となったが、大日本帝国の官僚機構の指示を拒否する現場判断は何処から来たのだろうか。
私にはモルガンお雪が歴史の一コマで「玉の輿」の役割をしてくれたお陰で日露戦争を戦勝に導き、50年後に一外交官が自国の敗戦を予感しながら、礼節を全うしたと思っておきたい。その方が「玉の輿の日」としてのロマンに思いを馳せられる。(この項、完)
                   (1月21日)

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